忍草 諏訪神社例祭 そのさん

UPDATE : 2016.9.20

その神輿を別名“暴れ神輿”とも言っております。だが、それはかっ
ての、昔の言葉となっております。確かに昔は突進し、塀やバスとか
トラックも当てたし、田んぼに降りて練り回しもしたようです。今は
とてもそのようなことはできません。なぜなら、風紀上警察からの規
制もあり、それと神輿そのものがまるで違います。

昔のはだいぶ軽かったそうです。昭和59年に新造された今の神輿は
とてつもなく重いのです。担ぎ手から聞いたのですが、「1トン以上
はあるな!」とのこと。ですから、昔のような「暴れ神輿」の再現
は不可能でしょう。

今年は激しい降雨の中ですのでおとなしい繰り出しかなと、かすかに
思っていましたが、あにはからんや、気勢といいその進行速度も例年
となんら変わりません。全身ズブヌレの担ぎ手に、あたかも神の霊気
が乗り移ったとしか思えません。
                          (堀内)

 忍草 諏訪神社例祭 そのに

UPDATE : 2016.9.20

農業が主要産業でもあったこの地では、当然のこと春祭りと秋祭りが
行われます。前者は本殿(コノハナノサクヤヒメが主祭神)をもとに、
豊作を祈願する祭りとしてです。後者は今行われている収穫感謝祭と
しての諏訪神社例祭となります。つまり、この年の収穫を祝う秋祭り
に他なりません。

収穫を祝う祭りですから、まずは神殿前での儀式で神への感謝を表し
ます。同時に、神楽の舞で神に謝意を啓示致します。
そして、一年間“社”にイマし続けた神の魂を神輿に移し、村中を練
り歩き、神のお披露目をいたします。この日のみ村民と神とが身近に、
あるいは神輿越しに恐れ多い神に触れることもできるのです。

お祭り初日今年の19日はあいにくと、台風が接近していることから
強い雨中での神殿前儀式となりました。そして、神輿の出で立ちです。
でも、それにはめげません。かっては台風の只中でも神輿は繰り出し
ております。雨、風なんのそのがモットーの「暴れ神輿」です。
担ぎ手、および先導の氏子一同は雨具付けずの練り歩きです。
                          (堀内)

 忍草 諏訪神社例祭 そのいち

UPDATE : 2016.9.19

毎年9月19日〜21日の間、忍野村忍草の諏訪神社例祭が行われま
す。伝統あるユニークなお祭りでもありますので、これを特集します。

まず、忍草の諏訪神社のご紹介から致しましょう。
本社は諏訪市にありまして「諏訪大社」として、全国に25,000社も
ある諏訪神社の総本山です。7年に一度催される「御柱祭」があまり
に有名です。

祀られている神は「建御名方神」(タケミナカタノカミ)です。
古事記では「武甕槌神」(カケミカズチノカミ)に敗れて、今の地に
座ったとなっております。その諏訪大社から分祀しましたのが忍草の
諏訪神社です。

忍草諏訪神社(以下、諏訪神社とします)の祭神は当然にも「タケミ
ナカタノカミ」で、軍神としてまた農業とか山の神としても崇められ
てきました。本社と諏訪神社の共通する特徴として、御神体がそれぞ
れ「山」であることです。本来、本社には社(やしろ)がなく守屋山
が御神体です。この地でもかっては富士山が御神体とみなされており
ました。
                          (堀内)

馬頭観音5 

UPDATE : 2016.9.16

話はいささかそれますが、松尾芭蕉の『奥の細道』に次の句があります。

    蚤虱(のみしらみ)馬の尿(しと)する枕もと

芭蕉が岩手と山形の境の峠越えで、日も暮れたのでその地のお役人の家
に泊めてもらった時の句です。
意味するところは、「寝ている間、蚤や虱に悩まされ、あまつさえ馬の
尿する音までするとは、なんとも侘(わび)しいことよ」、です。

実は、この意味がかって読んだときは分かりませんでした。
くたびれた法衣姿の芭蕉と曾良の二人には、蚤と虱のたかった煎餅布団
が用意されたのでしょう。で、どうして家の中で馬の小便する音がした
のか謎でした。
「馬頭観音」を調べていくうちにその意味が分かりました。農家のみな
らず、お役人の家ですら馬と人が同じ屋根の下に居たわけですね。
つづく                        (堀内)

馬頭観音4

UPDATE : 2016.9.14

 馬を大事にした日本では、特に農家では家族同様に同じ屋根の下に住
んでいたくらいです。過酷なまでに働いてもらうけれども、人間並みに
大事にされたのが農家の馬です。その馬が亡くなると、その家の家族が
亡くなった時と同じような弔いを受けたといわれております。

仏壇にこそ位牌は置きませんが、家の敷地内に供養の塔を設けるのは
ごく普通の事でした。現在は農業、運送業としての人馬社会は終焉を向
えておりますので、馬の供養は殆ど見られませんが、かっての供養塔=
馬頭観音は一部の家に残されております。
                           (堀内)