忍野村の池 【4】 「浅池」

UPDATE : 2017.7.6

看板によりますと、この近辺にはかって水車が無かったので、近隣の
村から精米を頼みに来る人で大変繁盛したようです。そこから、水車
の“車”を取って食べ処「車や」の名前が生まれました。

看板では湧き水の温度は一年を通じて12℃とうたっていますが、そ
こまで低い温度か疑問を持ちます。なぜなら、溶岩の厚みは約10m
でその下部を伝わって来る地下水は、地中それほど深くないからです。
近いうちに実際、検温してみます。

看板には次のようなことも書かれています。“冬には外気が冷えるため
水蒸気が木に付着して樹氷となります。”その通りでしょう。
まだ見てはいないのですが、時期が来たら挑戦します。

やはり看板にはですが、優秀作とは思えませんが和歌が載っています。
それを紹介します。
     仰ぎ見る 富士の高嶺に湧きいづる 
                清き流れの 浅池の水
つづく                        (堀内)

忍野村の池 【3】 「浅池」

UPDATE : 2017.6.30

最初に「浅池」を紹介しましょう。場所は忍野村中心部南方に所在し
ます。食べ処の「車や」さんの敷地内にある池です。グーグルマップ
で拡大してみますと、大まかには3つの池から成り立っているように
見えます。でも実際に歩ってみますと、それらはつながっていますの
で1つの池と見なしてよいでしょう。

水源はといいますと、この辺一帯に覆われている鷹丸尾溶岩(富士山
溶岩の一つ)の下部からです。その湧き口は奥の池に行くと確認でき
ます。現在もこんこんと湧いています。

この「浅池」の由緒を書いた看板が池の中ほどにあります。それに
よりますと、明治の初めから昭和15年までの間、浅太郎という爺さ
んが湧水を利用して水車をまわしていたそうです。そこから「浅池」
という名前が付けられたようです。
 つづく                       (堀内)

2017年水源の里忍野八海クリーンキャンペーン 

UPDATE : 2017.6.24

本日、「水源の里忍野八海クリーンキャンペーン」が行われました。

天候にも恵まれ、集まった80名以上のボランティアが八海周辺の清掃と、
新名庄川堤の草刈りをしました。

ご参加の皆様、本当にお疲れさまでした。

風光明媚な水の郷、忍野村へどうぞお越しください。
お待ちしてます。                     (後藤)


忍野村の池 【2】

UPDATE : 2017.6.24

水の湧き口は元湖の底からだけではありません。溶岩台地の下からも
湧いております。(内野地区の自然池はすべてです。)忍野八海の一つ
「出口池は」“梨ケ原溶岩台地”の先端下部から湧きだしている水を水
源としています。

忍野八海以外の池をあげてみますと、「浅池」、『浅池上池』、『ドジ
ョウ池』、『招魂社横池』、「双子池」、『湯ノ木池』「中池」、『榛
の木池?』、『鱒の家池?』などがありますが、残念ながら後葉の2者
はポンプでくみ上げた水ですので、“自然池”には含めません。なぜな
ら、本稿で扱うのは自然の湧水が作る池を対象としているからです。
(なお、『』内の池は正式な池名が無いので仮の名前です。)

また、八海中心地にある「中池」ですが、この地は元は畑でした。
現在はこの池は自然に湧いてはいますが今から40数年前に、人工的
に作られた池です。そのため、本稿では詳細を取り上げません。でも、
湧いている水の量は中途半端ではありません。恐らく、毎秒で1.3立
方メートルぐらいが湧いています。人工池とは言っても忍野村で一番
観光客が群れています。
 つづく                        (堀内)

忍野村の池 【1】

UPDATE : 2017.6.20

忍野村にある8つの池の忍野八海はあまりに有名です。では、“水の
郷”忍野村にはそれ以外の池はないのでしょうか。実はそれと同じほ
どの数の池が散在しております。人工池でなく水源が湧水口を持って
いるという条件を当てはめると、およそ8つの自然の池が加わります。

以前の稿で述べましたが、ここ忍野村はその昔湖であったのと、そこ
へ富士山からの溶岩が流れ込んで溶岩台地を作っているという地形的
特性があります。

内野地区はその台地の上の発展した土地と言えましょう。その溶岩台
地の下端からは枯れることのない、豊富な水量の湧水が常に流れ出て
おります。名前こそ付けられてはおりませんが、小さいながらも立派
な湧水池が存在します。忍草地区の一部は湖の底の水がなくなってで
きた平野です。これを湖底平野と言いますが、水の湧口=池は残って
しまいました。

幾つかある湧口のうち、ある宗教団体が8つの池を聖地と定めたのが
忍野八海の始まりです。(それ以前でも「元八湖」「元八海」とか呼
ばれてもいましたが。)
 つづく                        (堀内)