内野用水・内野用水の碑

内野用水・内野用水の碑

着工から50年。村民悲願の農業用水

内野用水・内野用水の碑地質が火山灰である忍野村は、水を溜めておくことが非常に難しく、水はけが良すぎるため稲作に向かなかったのです。村民はかねてから農業用水の整備を待望し、江戸時代末期にはときの老中・阿部伊勢守の駕篭が通行するのを待ち受け、直訴を断行する人が現れるほど切実でした。 明治4年には、村民あげての工事が連日連夜続けられましたが、資金不足のためやむを得ず中断。しかし、明治24年になって渡辺貞治らによって工事は再開され、その6年後に内野用水は完成を果しました。明治30年5月31日、着工から50年もの歳月が費やされたのです。

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